山麓の人々のくらし
集 落
平安時代末期以来、三禅定道の登山口にある集落では、信仰の道と生業とが一体となり、登拝者の案内や宿坊を営み、護符を配布するとともに、木材、養蚕、鉱物採掘、温泉など、豊かな山の恵みを受けて人々が暮らしてきました。
石徹白は薬草や護符の配布を通じて白山信仰を広めた御師の集落であり、石畳や道標がかつての美濃禅定道の面影を残しています。真壁造りの民家には、仏間とは別に立派な「ハクサンノマ」が見られ、白山中居神社では五段の神楽が行われるなど、御師の伝統と習俗を色濃く残しています。
白峰は谷間の河岸段丘上に位置した大集落であり、牛首紬などの機織りなども盛んで、土地利用の高密度化や高層化が進み、大壁造りの巨大な家屋が軒を連ねる全国的にも特異な町並みを形成しています。これらは、かつて山麓の村々を統括した大庄屋や生活物資を商う豪家としての機能を有したもので、日本の山間集落における自然環境に適応した木造建築の到達点であり、集落の規模や賑わいの面でも、日本有数です。
出作り・焼畑
白山麓には自然地形に制約されて水田のない景観が広がり、室町時代以降、母村の白峰から奥深く高地へ入り込み、山の斜面を利用して出作り・焼畑が盛んに行われてきました。そこでは山の神に祈る火入れ儀礼などの東南アジアとも共通する習俗がみられ、アフリカ原産のシコクビエやユーラシア原産のスウェーデンカブといった南北から渡ってきた作物が栽培されています。また、農作業は労働集約的に最も丁寧に行われる点に大きな特色があり、気象条件等に適合したもので、豪雪山岳地帯の焼畑として、世界でも希有な存在です。
芸能
能楽の源流である長滝白山神社の「長滝の延年」、人形浄瑠璃の古い形態を伝える「でくまわし」などが、山村の暮らしの中で演じられ、季節ごとの様々な芸能文化を承け継いできました。白峰や大野市では今でも白山を開いた泰澄を讃えてカンコ踊りが行われています。これらは古くから盛んに人々の交流があった証であり、白山麓の自然と生業と信仰が織りなす、文化的景観です。
白峰の伝統的建造物群
白山市下田原の出作り小屋
氏尾口のでくまわし