登録推進運動

「石川県に世界遺産を」運動のこれまで
※文中の所属や肩書きはいずれも当時。
(社)金沢経済同友会の提言でスタート
  • 2003(平成15)年9月
  •  金沢経済同友会の会員懇談会で、飛田秀一代表幹事が、金沢市の兼六園と霊峰白山は、いずれも世界文化遺産登録に値するとし、本腰を入れて運動に取り組むべきだとの考えを示した。同代表幹事は登録の目的について、「子孫に貴重なものを伝承する任務と、世界遺産を有するという誇りを持つためだ」と説明した。
  • 03年10月
  •  金沢経済同友会は組織内に「世界遺産登録推進特別委員会」を設置し、運動の推進母体づくりに入る。
  • 2004(平成16)年3月
  •  金沢経済同友会の理事会で、04年度の重点事業の一つとして、「白山、兼六園を世界遺産に」キャンペーン推進会議(以下「推進会議」)を設立する方針を打ち出す。

「推進会議」が誕生 啓発活動を展開
  • 04年4月25日04年4月19日
  •  金沢経済同友会を核に、石川県、金沢市などの自治体、(財)北國総合研究所など関係団体が参加する推進会議が発足。実行委員長に金沢経済同友会副代表幹事で世界遺産登録推進特別委員長の米谷恒洋氏が就いた。
  • 04年4月25日
  •  金沢市の北國新聞会館で、「ふるさとに世界遺産を持つ意義」をテーマに、推進会議主催の第1回シンポジウム開催。
    「兼六園と世界遺産」と題して基調講演した造園学の第一人者、進士五十八東京農大学長は、「兼六園は庭というより、工芸に近い」と表現し、人工美を極めた、大名庭園としての普遍的価値が高いとの認識を披露した。
     パネル討論の中で、パネリストの本中眞文化庁記念物課主任文化財調査官は、世界遺産登録の近年の傾向について、遺産構成を肉厚にする連続性のある「遺産群」の考え方を紹介。金沢については城下町全体の価値を高めるために「兼六園と一体の金沢城や辰巳用水、石切丁場があった戸室山、野田山墓地なども重要」と指摘した。
  • ◎ シンポジウムを4回開催
  •  推進会議や金沢経済同友会の特別委員会の04年度事業は、4回のシンポジウムをはじめ、3回の「兼六園こども塾」、1泊2日の日程での「白山こども塾」を2回、1泊2日の日程での「白山の三禅定道と三馬場を巡る旅」を3回、暫定リストに記載されている岩手県の「平泉の文化遺産」の視察、「白山民俗芸能祭」などを展開した。
     シンポジウムのテーマは、第2回が「白山の三禅定道と三馬場」(金沢市、7月24日)、第3回が「城下町金沢の文化遺産」(東京都、10月30日)、第4回が「白山の三馬場」(白山市、05年2月12日)。東京での第3回シンポジウムでは、パネリストの本中眞・文化庁主任文化財調査官は、「金沢城を中心とした文化遺産の史跡指定をしっかり進めていく必要がある」と強調し、「金沢ほど文化財指定が少ないところはない。土地に絡んだ資産の保存が進んでいないという意味でも最も遅れていてもどかしい」と苦言を呈した。

三馬場の宮司が初めて一堂に
  • 2005(平成17)年2月12日
  •  04年度第4回シンポジウムを白山市で開催。加賀、越前、美濃の三馬場(信仰拠点)の中心である白山比盗_社(白山市)の山崎宗弘宮司、平泉寺白山神社(勝山市)の平泉隆房宮司、長滝白山神社(郡上市)の若宮多門宮司が顔をそろえてパネル討論に臨んだ。三宮司がそろって公開の席に会するのは歴史上初めてとされ、三宮司は、歴史的な確執を乗り越え、豊かな文化遺産を共有し、白山信仰の世界的な価値を訴えていくことで一致した。

「推進会議」組織名を変更
  • 05年4月26日
  •  推進会議の05年度総会。04年度のシンポジウムでの講師やパネリストからの情報などにより、「兼六園」については単体で世界遺産登録を目指すのではなく、金沢城跡など周辺の歴史遺産を「金沢の文化遺産」ととらえて運動を進める方針を打ち出した。
     これに併せて「白山、兼六園を世界遺産に」キャンペーン推進会議の名称を、「石川県に世界遺産を」推進会議(以下も「推進会議」)と改めた。
     県と金沢市は、これに歩調を合わせ、歴史的文化遺産の文化財指定に向けて情報を共有する「世界遺産県市連絡会議」を発足させた。
  • ◎15回のセミナー開催
  •  推進会議の05年度事業は、遺産価値の理解を深めることを目的とした啓発活動に重点を置き、「金沢の文化遺産」、「白山の三禅定道と三馬場」など計15回のセミナーを開いた。いずれも定員を上回る参加があり、関心の高さを裏付けた。
     金沢経済同友会の特別委員会は同年9月、政府の暫定リストに登載されている島根県の「石見銀山遺跡」(07年に世界遺産登録)を視察した。
  • 2006(平成18)年5月31日
  •  推進会議の06年度総会。同年度の事業では、富山県にも足を伸ばした5回のバスツアーによる「金沢の文化遺産セミナー」をはじめ、金沢市、白山市、東京都では有識者を招いてのセミナーを開催した。また、森喜朗元首相、文科省・文化庁幹部との各意見交換を行なった。金沢経済同友会特別委員会は、世界遺産に登録された熊野古道を視察した。

暫定リスト候補を公募
  • 06年9月15日
  •  国の文化審議会が、世界文化遺産の候補である暫定リストの追加候補を選ぶため、同年11月末を期限として全国の自治体から候補を公募することを決める。
     推進会議の運動と県民の関心の高まりを受けて、下調べ的な作業に入っていた石川県と金沢市、白山市は、国の「公募方式」という方針を受けて、待ったなしの対応を余儀なくされた。

「城下町金沢」「霊峰白山」を提案
  • 06年11月29日
  •  石川県と金沢市が「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」を、石川・福井・岐阜の3県と白山・勝山・郡上の3市が「霊峰白山と山麓の文化的景観」を暫定リスト候補として文化庁に提案。全国からの応募は24件。
     金沢経済同友会が提唱し、推進会議の運動があったからこそ「城下町金沢」「霊峰白山」を提案できたという格好となった。

2件とも継続審議に
  • 2007(平成19年)1月23日
  •  文化審議会は、全国からの公募した暫定リスト候補中から、暫定リストに「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)、「富士山」(山梨・静岡県)、「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」(奈良県)、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎県)の4件の追加記載を決めた。「城下町金沢」「霊峰白山」は、ほかの18件とともに「継続審議が適当」とされ、07年末までに再提案することになる。
     「城下町金沢」は金沢城跡の史跡指定など、「霊峰白山」は、「紀伊山地の霊場と参詣道」との主題の類似をどうするか、などが課題として示された。「城下町金沢」は当初から指摘されていたように、史跡指定の遅れが響いた格好となった。
  • 06年度末〜07年度
  •  金沢市は06年度末、年度途中としては異例の組織改革を行い、都市政策局に「歴史遺産保存部」を置き、「城下町金沢」の暫定リスト入りを目指す行政としての体制を整えた。県は07年度、全庁横断的な担当部門として、「世界遺産推進室」を設けた。

多様な運動展開に拍車
  • 07年度
  • 【推進会議など】
  •  6月18日に07年度総会。同年度の事業は、県と金沢市、白山市など関係自治体による同年末の「城下町金沢」「霊峰白山」の再提案をにらみながら、啓発活動を中心に多彩な展開となった。
     「城下町金沢」の関連では、「名君の時代」をテーマとした金沢でのメーンセミナーと東京での「東京セミナー」、バスによる視察セミナー4回を実施。「霊峰白山」の関連では、白山市でのメーンセミナーのほか、バスによる3回の現地探訪セミナーを行い、勝山、白山、郡上の3市を訪れて、三市のフォーラムやシンポジウムを聴講した。
     こうしたセミナーと並行して推進会議は、「城下町金沢」「霊峰白山」を視覚に訴えてアピールするポスター、構成資産を映像で紹介するDVD(上映時間20分)を制作。両方とも推進会議、県や関係自治体を通じて内外の関係先、関係者に配り、好評を得た。
     また、金沢経済同友会の視察旅行は、9月27日から3日間の日程で、「城下町金沢」のライバルとも言われている山口県の萩市などを訪れた。
     推進会議とは別に金沢市も、07年度4回の世界遺産セミナーを開催した。
  • 【石川県文化遺産学術調査委員会】
  •  文化審議会から示された「城下町金沢」「霊峰白山」の課題等を検討・研究する「石川県文化遺産学術調査委員会」のメンバーを固まり、城郭史、建築、景観、民俗、考古学の分野の委員16人と、顧問2人の構成となった。内部に金沢部会、白山部会を設置。
     6月23日〜11月28日にかけて3回の会合を開き、「霊峰白山」の提案者に、白山中宮の機能を備えていた那谷寺がある小松市、美濃禅定道沿いに行政区域を接するなどにより、福井県大野市、岐阜県高山市、同県白川村を加え、3県6市1村の提案とする方向を固める。
    「霊峰白山」の構成資産として、新たに17件を追加、従来の資産27件は再編して23件にまとめ、合わせて40件を資産とすることで一致した。
     7月5日〜11月29日にかけて3回の会合を開き、「城下町金沢」を構成する資産として、「旧城下町」「伝統技術」「外港」「教育・伝統文化・芸能」の文化的景観4件を追加。合計34件とする案を了承した。新たな構成資産の「旧城下町」には、08年の国史跡指定を目指す金沢城跡をはじめ、用水や寺院群など地形と都市構造の骨格となる要素を集約。「伝統技術」には金沢箔と和紙、戸室石と石工、「外港」には金石港と木工業、大野港と醤油業、「教育・伝統文化・芸能」には茶の湯や加賀宝生、寺中能などを盛り込んだ。
  • 07年12月18日
  •  県文化財保護審議会は、金沢市の天徳院山門と白山市の白山比盗_社本殿を、各市の指定文化財から県指定文化財にするよう、県教委に答申。
     同日、県は世界遺産庁内連絡会議を開き、「城下町金沢」と「霊峰白山」の暫定リスト入りを目指して文化審議会に提出する再提案の中身を了承した。このうち、「霊峰白山」では、構成資産として、さらに高山植物帯など5件を追加し、合計45件とすることにした。

全国から応募のは32件に
  • 07年12月20日
  •  県と関係自治体が、「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」と「霊峰白山と山麓の文化的景観―自然・生業・信仰―」の再提案書を文化庁に提出。前年実施の自治体公募で継続審議となった20件のうち、共同提案などによって再提案数は1件減った19件。同年9月を締め切りとした2回目の自治体公募で応募があった13件を合わせた計32件が文化審議会の審査対象となった。
  • 2008(平成20年)1月
  •  国の文化審議会が、世界文化遺産特別委員会の下に4つのワーキンググループ(以下「WG」)を置き、自治体から提案の32件の審査を開始。「城下町金沢」の担当は、「古代(古墳時代を除く)・中世・近世期の文化遺産に関する事項」の第2WG、「霊峰白山」の担当は、「時代を超えて、人と自然の関わりを中心とする遺産に関する事項」の第4WGとなった。県に対するヒアリングは3月26日、文化庁で行われた。WGが非公開で行い、県教委や金沢、白山両市の担当職員らが出席した。
  • 08年5〜6月
  •  石川県文化遺産学術調査委員会は、5月29日に金沢部会を、6月6日に白山部会を開催。金沢部会では「城下町金沢」に関し、▽用水、街路などの都市空間構造の成立や変遷▽百万石の城下町を支えた経済流通構造▽絵馬や石塔など不動産以外の調査の必要性が指摘された。白山部会では「霊峰白山」に関し、▽白山麓の焼畑を世界的観点から整理する必要性▽白山に関する文書や論文などの現況確認などの意見が出され、石川県はこれらの意見を取りまとめ、普遍的価値を証明するため、大学などの研究機関に4件の調査を委託することにした。

金沢城跡が国史跡に指定
  • 08年6月17日
  •  文部科学省が、金沢城跡の国史跡指定を官報で告示した。文化審議会がそれに先立つ5月16日、金沢城跡を国史跡に指定するよう、渡海紀三朗文部科学大臣に答申していた。
     金沢城跡は、世界遺産の暫定リスト入りを目指している「城下町金沢」の核でありながら、文化財未指定という大きな課題の一つとなっていた。金沢城跡は、江戸時代最大の大名・前田家の居城で、高度な技術を要する多様な石垣遺構が残っていることから、「石垣の博物館」と高く評価されている。文化審議会は、石垣などが良好な状態で残り、近世大名の政治権力、築城技術を知る上で重要と評価した。指定範囲は金沢城公園内の国・県・市有地を合わせた約27・5ヘクタールで、ビルが建つ西側の私有地、変電所がある北側の敷地は含まれない。

海外へのアピールも強化
  • 08年6月11日
  •  推進会議が08年度総会開く。事業計画などを決めた。主な事業として英語版リーフレット制作など、海外へのアピールも強めることとした。啓発活動としては、「城下町金沢」では7〜9月に金沢城公園や塩硝の道などを巡る3回のセミナーを、「霊峰白山」では10月に国立民族学博物館の佐々木高明名誉教授を招いての白山セミナーを開くほか、3回の現地探訪セミナーを開催することとした。
     役員人事では、米谷恒洋実行委員長の退任に伴う後任に、安宅建樹金沢経済同友会副代表幹事・世界遺産登録推進特別委員長を選任した。

「平泉」が登録延期
  • 08年7月7日
  •  カナダで開催のユネスコの世界遺産委員会は、日本が世界文化遺産に推薦した「平泉―浄土思想を基調とする文化的景観」(岩手県)について、イコモス(国際記念物遺跡会議)が再審査を要するとして登録延期を勧告したのを受け、勧告通りの決議となった。国内候補で世界遺産への登録が見送られたのは初めて。
     文化庁は、今後の推薦で「平泉」を最優先するとし、推薦書を10年にも再提出する方針だが、登録の可否決定は早くて11年となる見通し。

再び暫定リスト入りならず
  • 08年9月26日
  •  文化審議会が、世界文化遺産候補として全国の自治体から応募があった32件のうち、「金と銀の島、佐渡」(新潟県)など5件を新たに暫定リストに記載すべきものとの結論を出した。
     「城下町金沢」「霊峰白山」は、今後の調査研究の進展状況に応じて、暫定リストへの記載を検討する候補として、今回も暫定リスト入りは見送られた。今回の5件が暫定リストに記載されれば、日本の世界文化遺産候補は13件となるため、文化庁は、自治体からの候補公募はこれで打ち切るとした。


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認定金沢市が「歴史都市」第1号に認定
  • 2009(平成21)年1月19日
  •  国土交通省・農林水産省・文化庁が、金沢市など全国5都市を歴史まちづくり法に基づく「歴史都市」第1号に認定した。これを受け、金沢市は同日、「歴史的風致維持向上計画」に盛り込んだ西外惣構の升形復元など3事業の08年度採択を国交省に申請した。
     金沢市は「歴史都市」を対象とした支援措置を有効活用し、歴史資産を生かしたまちづくりを加速させる。金沢市のほか、岐阜県高山、滋賀県彦根、山口県萩、三重県亀山の各市が認定を受けた。
     金沢市の歴史的風致維持向上計画には08年度から10年間で実施する61事業が盛り込まれている。重点区域内での無電柱化や、道路、用水沿いの修景整備、観光駐輪場の整備、11年秋に本多町3丁目で開館を予定する同市出身の世界的仏教哲学者、鈴木大拙の記念館や、12年度以降に復元を目指す土清水塩硝蔵跡なども計画に入っている。
     計画の事業が採択されると、補助率の高い支援事業費を活用できる。県の金沢城復元事業も補助対象となる。
     この歴史都市認定も、世界遺産登録運動を受けて、金沢市が歴史資産の見直しや、景観保全などに積極的に取り組んだことの成果といえる。

前田家墓所が国史跡に
  • 09年2月12日
  •  文化庁は、金沢市野田山の前田家墓所と、高岡市の前田利長墓所を「加賀藩主前田家墓所」として国史跡に指定した。文化審議会が08年11月21日、両市の墓所を一括して国史跡に指定するよう、塩谷立文部科学相に答申していた。
     県境を越えた複数の地域・施設がまとまって国史跡に指定されるのは石川、富山県内では初めてで、全国でも16例目(特別史跡を含む)に過ぎない。指定範囲は金沢では市有地と私有地を合わせた約8万6千300平方メートル、高岡市では市有地と私有地を合わせた約3万3千400平方メートルとなる。
     金沢市は前田家墓所の保存管理計画を策定し、歴史資産の保全、継承に取り組む。同市は、野田山で前田家墓所を囲むように広がる加賀八家墓所についても、10年度の国史跡指定を視野に測量調査などを進める。
     金沢城跡に続く国指定史跡の誕生で「城下町金沢」の資産価値は一段と厚みを増した。
  • 09年2月14日
  •  推進会議主催の08年度「城下町金沢」メーンセミナーを北國新聞赤羽ホールで開催。
     基調講演の講師には、文化審議会・世界文化遺産特別委委員で、「城下町金沢」などの審査を担当した第2WGの中心メンバーだった佐藤信東大大学院教授を招いた。
     佐藤氏は「世界遺産からみた城下町金沢」のテーマで講演し、「金沢は百万石の城下町として日本を代表すると言ってよい」と評価した上で、「数ある城下町の中でどんな歴史的特質を持つかを明らかにすることが必要だ」と指摘した。さらに「人類の都市史における日本の城下町の位置付けが求められる」と述べた。
     この後、石川県文化遺産学術調査委員会委員の東四柳史明金沢学院大教授をコーディネーターとして、佐藤氏、木越隆三県金沢城調査研究所副所長、出越茂和金沢市埋蔵文化財センター所長によるパネル討論「城下町金沢の課題と展望」が行われた。
     セミナーでは推進会議の安宅建樹実行委員長が開会挨拶を行ない、今後も粘り強く運動を継続していく考えを示した。
  • 09年2月28日
  •  金沢市が世界遺産セミナーを金沢歌劇座で開き、イコモス国内委員会の矢野和之事務局長が講演した。矢野氏は「これだけの歴史遺産を残す都市は、京都と金沢だけ」と強調、市民一人一人が主役となって都市の価値を見つめ直す必要性を指摘した。その上で、他国も含めた比較検討が必要との認識を示した。
  • 09年3月
  •  推進会議は08年度事業として、「城下町金沢」の世界遺産登録運動の歩みや、文化審議会の指摘事項や評価をまとめた冊子「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」を発行した。
     B5判116ページ。表紙に「金沢城下図屏風」を採用した。2000部を制作し、県、金沢市、金沢経済同友会世界遺産登録推進特別委員会などを通じ、関係先に配布した。「城下町金沢」の構成資産の詳細な解説なども掲載している。
     推進会議はまた、外国人に「城下町金沢」をアピールし、理解してもらうため、英語版リーフレットも発行した。A4判6ページで6000部を制作。石川県、金沢市、金沢経済同友会などを通じ、外国人が訪れる観光施設やホテルなどに配布した。
  • 09年6月9日
  •  ユネスコの創造都市ネットワークに、金沢市がクラフト(工芸)分野で、世界で初めて登録された。藩政期以来、培われてきた多彩で分厚い工芸の土壌の上に、新たな文化を創造する都市として世界に認められた。「城下町金沢」の世界遺産登録運動をリードする金沢経済同友会が中心となり、10年以上に渡って積み重ねてきた「金沢創造都市会議」の活動が、申請から7カ月余りでのスピード認定につながった。
  • 09年6月29日
  •  「石川県に世界遺産を」推進会議の09年度総会開催。「城下町金沢」で2回、「霊峰白山」で1回のセミナーを開くほか、海外へのアピールを強化していくため、「城下町金沢」を中心にホームページの英語版充実などリニューアルを行なうことなどを決めた。
  • 09年10月31日
  •  推進会議主催の09年度第1回「城下町金沢」セミナーを北國新聞赤羽ホールで開催。基調講演「金沢の文化的景観−城下町の伝統と文化」では人間文化研究機構長の金田章裕氏(文化審議会世界文化遺産特別委員会委員)が、金沢が世界遺産登録を目指す上で、さらなる独自性を打ち出す必要があるとして「近世最大の地方政権都市と文化を主張できれば、日本文化を代表するものだといえる」と指摘した。
     このあと、金田氏と地元研究者によるパネル討論が行なわれた。
  • 09年11月28日
  •  推進会議主催の09年度「霊峰白山」セミナーを能美市根上学習センターで開催。基調講演講師の国際日本文化センター・安田喜憲教授は「霊峰白山と能美地域」と題し、「約4200年前に中国から渡ってきた人たちが白山周辺で『越(えつ)』を建国したのが白山信仰の始まり」と持論を展開した。
     基調講演の後、安田氏に地元研究者らが加わり、パネル討論を行なった。

金沢中心部が「重要文化的景観」に
  • 2010(平成22)年2月22日
  •  文科省が「金沢の文化的景観―城下町の伝統と文化」を重要文化的景観に選定した。「城下町金沢」の世界遺産登録運動はまたひとつ大きな成果を得た。選定の範囲は、内惣構の内側を目安とした金沢城跡周辺と卯辰山公園、犀川や浅野川、市中心部を流れる大野庄、鞍月、辰巳の各用水、惣構跡など292万平方メートル。
     金沢を含め19件となった重要文化的景観は、棚田など農村部が大半を占めるが、都市部としては「宇治の文化的景観」(京都府宇治市)についで2例目。金沢には城下町の都市構造が現在も残り、藩政期からの伝統工芸や生活様式が受け継がれており、新たな文化創造の拠点である金沢21世紀美術館も含めて貴重な文化的景観を形成していると評価された。
     金沢市の申し出を受けて、文化審議会が09年12月11日、川端達夫文科相に選定するよう答申していた。

辰巳用水も国史跡に指定
  • 10年2月22日
  •  文科省は金沢市を流れる「辰巳用水」を国史跡に指定した。「城下町金沢」の世界遺産登録運動がはじまって、国史跡指定は、金沢城跡、加賀藩主前田家墓所(金沢市野田山、高岡市)に続いて3カ所目となり、金沢の歴史遺産は一段と厚みを増した。
     指定の対象は東岩取水口(金沢市上辰巳町)から兼六園までの延長約11キロのうち、暗渠や流路変更の部分を除く約8.7キロ。全長260メートルの三段石垣も含まれ、面積は約14万7000平方メートル。
     1638(寛永8)年の大火の翌年、3代藩主前田利常が小松の町人板屋兵四郎に命じて完成させたとされる。当時の都市用水で、辰巳用水のように飲料を目的としなかった用水は珍しく、土木技術史の観点からも貴重な用水である。隋道の掘り進め方や、いわゆる「逆サイホン方式」の通水の仕方など当時の高度な土木技術が示されている。
     文化審議会が09年11月20日、川端達夫文科相に国史跡に指定するよう答申していた。
  • 10年3月6日
  •  推進会議主催の09年度第2回「城下町金沢」セミナーを北國新聞赤羽ホールで開催。金沢大学のジェレミー・フィリップス氏(文学博士・日本近代史、ニュージーランド出身)が「外国人から見た金沢」をテーマに基調講演し、東四柳史明氏(金沢学院大教授)をコーディネーターに、フィリップス氏ら金沢在住の外国人4氏がパネル討論を行なった。


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