白山の信仰
白山信仰の歴史は、奈良時代に「越の大徳」とも呼ばれた泰澄が、養老元(717)年に登頂したことに始まるとされています。やがて平安時代になると、自然崇拝の山から神仏習合に彩られた観音の聖地と仰がれ、「越の白山」とも讃えられて、都びとの憧憬の対象とされました。白山を取り巻く三つの平野には信仰の拠点となる馬場が成立し、山頂への参詣道として禅定道が開かれました。山麓一帯では、加賀、越前、美濃の各馬場と禅定道がそれぞれ基軸となった社寺群や集落が形成され、信仰と深くかかわった山村特有の生活文化が培われました。日本で独自に形成された修験道の山岳修行の場であり、古代の山頂遺跡や経塚は日本最高所のものです。また、水の神、農耕の神、漁業の神、オシラサマ(養蚕)などの生業の神としても広く信仰を集めてきました。
越前の白山平泉寺旧境内には日本最大の中世宗教都市遺構が発掘されましたが、これは白山信仰の盛行を象徴するものです。また平安後期から白山三ヶ寺の一つとして重要な位置を占めていた那谷寺は白山中宮の伝統を継承し今に至っています。
戦国時代以降、白山麓にも白山神の本地仏である阿弥陀仏への信仰が媒介となって急速に真宗が浸透します。そして世界史上希有な事例とされる、信仰を基盤に百年間にわたって地域自治を続けた、加賀一向一揆の最後の砦である「鳥越城跡」などがあります。今も山麓では真宗道場を中心とする信仰生活が営まれ、濃密な真宗地帯となっています。
白山比盗_社本殿
白山平泉寺旧境内より発掘された中世の石畳道