尾崎神社本殿・中門・透塀(すかしべい)・拝殿および弊殿(へいでん)
4代光高が金沢城北ノ丸に勧請(かんじょう)した東照宮で、1643(寛永20)年に完成。1874(明治7)年に尾崎神社と改め、明治11年に現在地に移転。国指定重要文化財。面積本殿20.6、拝殿・弊殿54.5平方メートル。金沢城は1873(明治6)年、城地が軍用地として利用されることが決定し、金沢東照宮は尾崎神社と改称して現在地に移築された。加賀藩内では「御宮(おみや)」と呼ばれていた。
本殿は、身舎(もや)が桁行3間、梁間2間でその前方に桁行3間の向拝(こうはい)が付いた三間社流造(さんけんしゃながれづくり)で、西を正面に建っている。
屋根は銅瓦葺きで、棟は大棟(おおむね)の両端付近に降棟(くだりむね)が付き、大棟の上には、置き千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)が2組乗っている。他の東照宮と同様、各部に漆塗りや極彩色が施され、飾金具で装飾されている。
中門は、一間一戸の平唐門(ひらからもん)で、本殿側に控柱(ひかえばしら)が立っている。屋根は平唐破風造銅瓦葺で、棟は大棟の両端付近に降棟が付いている。
透塀は、東西52尺、南北52尺の正方形で、各辺とも7間に分割し、西面は中央に中門を開けています。屋根は桟瓦葺。
拝殿及び幣殿は一体的で、拝殿は正面・桁行3間、側面・梁間2間で正面中央に間口1間の向拝が付いている。拝殿東側に接続する幣殿は、正面・梁間1間、側面・梁行2間となっている。屋根はいずれも入母屋造銅瓦葺きだが、幣殿の大棟は拝殿の大棟と直交して東西方向に延びており、屋根西側が拝殿屋根に接続し、東側のみ入母屋造の妻面(つまめん)を見せている。彩色は朱塗りを基調に縁・建具・壁は黒に塗られている。