寺町寺院群
金沢には、卯辰山・小立野台・寺町台の三つの台地丘陵と、その間を流れる犀川・浅野川による自然地形を巧みに生かした特有の都市空間が形成されている。その中でも、1616(元和2)年、3代利常の時代に形成が始まった、三つの台地丘陵に配置された寺院群は、金沢の貴重な歴史遺産の一つとして特筆すべきものである。3寺院群の配置の大きな特徴は、城下への入口の要所である浅野川口(卯辰山山麓寺院群)と犀川口(寺町寺院群)に加えて、金沢城の背後に広がる小立野台(小立野寺院群)に一向宗(浄土真宗)以外の寺院を集積させていることである。
このことから、城下の弱点となる部分を補強し、かつ当時勢力があった一向宗寺院を城下に分散配置することで、再び一向一揆が起きないよう配慮したことがうかがわれる。城下の防御が、3寺院群形成の主目的であったと考えられている。
寺院群の形成は、金沢の都市としての基本的な骨格が形成される17世紀の後半まで続くことから、城下町金沢の都市計画や都市形成に大きく関わっていたともいえる。
「城下町金沢」の文化庁への提案書では、3寺院群のうち、卯辰山山麓寺院群と寺町寺院群を構成資産としている。
【寺町寺院群】
曹洞宗と日蓮宗を中心に現在約70カ寺を数える。金沢市は市の伝統的建造物群保存地区としての指定を目指している。対象面積は未定。
寺町台は大きく2本の道で構成されている。一つは蛤坂(はまぐりざか)・泉寺町・六斗林から白山宮へと続く旧鶴来街道、もう一つは、旧鶴来街道から分岐し、野田山へ向かって直線的に続く旧野田道である。
延宝年間(1673〜1681年)の「金沢城下図」を見ると、いずれも寺院が建ち並ぶ寺町であったことが分かる。
この2本の道を骨格として形成されている寺町寺院群は、3寺院群の中で寺院数が最も多く、これらの寺院は、主に犀川周辺の寺院が移転してきたとされている。
旧鶴来街道沿いの寺院群では、通り沿いにはあまり土塀が見られず、山門がところどころ顔をのぞかせ、少し奥まったところに寺院が立地している印象を受ける。これは、江戸前期から多くの寺院が、広い敷地のうちの、通りに面する部分を貸すようになり、そこに町家が立地していったことによる。
これに対し、旧野田道沿いの寺院群は、1921(大正10)年に旧野田道の野町広小路から寺町間が拡幅され、北側の土塀山門が後退したが、通りの北側では妙典寺、高岸寺、長久寺、本因寺と続く4カ寺、南側では大円寺、法光寺、立像寺、本性寺、實成寺、妙法寺と続く6カ寺は、通りに面して土塀と山門が連なっており、往時の風情や風格を今に感じることができる。中でも、立像寺本堂・鐘楼と高岸寺本堂・鐘楼は金沢市の有形文化財(建造物)に指定されている。
寺町寺院群は広範囲にわたって多数の寺院が集積しており、他に類を見ない貴重な歴史遺産である。金沢市では、寺町寺院群を市の伝統的建造物群保存地区としての指定を目指し、面的な文化財としての保存に努めていきたいと考えている。