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野田山・加賀藩主前田家墓所

 初代藩主利家夫妻を中心とする家族的な墓所群と、3代利常以降12代藩主までの歴代藩主を中心とする墓所群などからなる。国指定史跡。指定面積約8万6千300平方メートル。
 金沢の一大共同墓地として名高い野田山墓所の最高所に位置するのが、江戸時代に加賀・能登・越中3ヵ国を領有した日本最大の大名家である加賀藩前田家の歴代藩主墓所である。広大な敷地の中に、藩主とその一族の墓が80基あまり造られている。
 歴代藩主墓としては、1599(慶長4)年に死去した初代利家の墓が造られたときに始まる。
 初期の墓所は利家墓を中心にその正室や子女の墓が隣接して造られるという家族墓的性格の強いものであったが、3代利常以降は藩主墓が突出して立地し、その周囲に規模の小さい家族墓が配置されるという、身分制度を強く意識した墓所へと変化している。また、前田家一族の墓は野田山以外にも東京や高岡、金沢市内など各所に造られていたが、これらの大部分は明治時代以降に野田山の前田家墓所に改葬されている。
 前田家墓所で見られる墳墓は土を四角形に盛り上げた形を基本形状としており、特に藩主墓は土を3段に盛り上げた大型墓で、利家墓で一辺約19メートル、その他の藩主墓で一辺16メートル前後あり、周囲には堀を巡らせるのが特徴である。初期は正室の墓も藩主墓と同程度の規模のものがあるが、その後はしだいに小さくなっていく。明治以降の墓は改葬されたものも含めて土を盛り上げるという築造原理は変わらないが、規模が大きく縮小されている。
 前田家墓所は、江戸時代最大の大名墓所としての威厳、風格を備え、その規模も全国最大級のものであり、加えて大名家墓所の成立過程や葬送形態、信仰の変遷なども知ることができるという、他の大名家墓所と比較しても遜色のない傑出した特徴を持っているといえる。
 さらに、このような歴史遺産が築造当初の姿を残しながら、現代まで受け継がれてきたことに前田家墓所の持つ希少性があり、後世に守り伝えるべき金沢の貴重な歴史遺産の一つである。
 野田山の前田家墓所は、高岡市にある2代前田利長墓所とともに2009(平成21)年、県境を越えて一括して国史跡に指定された。

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