尾山神社庭園(旧金谷御殿庭園)
近世末期から明治初年頃に作庭されたと考えられている。雅楽にちなむ意匠から「楽器の庭」とも呼ばれる。県指定名勝。指定面積800平方メートル。尾山神社の境内地は、神社の建てられた1873(明治6)年以前は、加賀藩主の別邸金谷御殿のあったところで、庭園は江戸末期から神社の創立までの間に作庭されたと推定される。池泉回遊式の庭園で、藩邸の書院庭園の形式を現在に伝えている。
池泉を中心に、中島とそれを結ぶ種々の形の趣向を凝らした橋が架けられ、背後に小高い築山があり、東南の上流部には滝口を設け、数段の流れを造り、池泉に導いている。
庭園の各部分には楽器にちなんだ命名が多く、神社にかかわりの深い雅楽を象徴的に表現している。池泉の島は、中央の手前に笙島(しょうじま)、その背後に鳥兜島(とりかぶとしま)、琵琶島の三島を配し、島々を巡る形で、図月橋(とげつばし)・琴橋・八ツ橋などが架けられている。左手奥には滝石組があって、その名を「響音瀑(きょうおんばく)」と称し、その水流が音をたてて池泉へ流入している。対岸の大木の茂る築山が庭園の背景となっており、市街地中心部にもかかわらず幽邃の境地を形づくっている。