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成巽閣(せいそんかく)

 1863(文久3)年、13代斉泰(なりやす)が母真龍院の隠居所として建造。真龍院没後、主要な建物と庭園が残された。国指定重要文化財。指定面積795.3平方メートル。
 13代斉泰は、母真龍院のために旧竹沢御殿の跡地に巽新殿(たつみしんでん)を造営した。1870(明治3)年、真龍院の逝去後、巽新殿は順次取り壊されていったが、最北に位置していた御殿がそのまま残された。これが現在の成巽閣で、室名は変わったが、規模や室構成は当時のまま残っている。成巽閣と呼ばれるようになったのは、兼六園が一般公開された1874(明治7)年以降のことである。
 成巽閣は木造2階建て、寄棟造こけら葺きの建物。対面所として使われた謁見の間(えっけんのま)は、上段18畳、次の間18畳の2間から成り、本格的な書院造の形式で、次の間との境には武田友月の極彩色の彫刻欄間を備えている。謁見の間の北側には書院、茶室及び水屋から成る清香軒(せいこうけん)があり、飛鶴庭(ひかくてい)に面している。謁見の間の東側にはかつて真龍院の休息部屋であった松の間、居間であった蝶の間がある。
 また、中央の36畳広間の南側には亀の間、中の間、納戸の間がある。これら諸室の外側に鮎の廊下、つくしの廊下、万年青(おもと)の廊下、貝の廊下が付いている。このうち、つくしの廊下と呼ばれる1間幅の広縁(ひろえん)は、長さ9間半の縁桁(えんげた)を通して柱を一本も入れず深い軒を拮木(はねぎ)で支えている。2階には群青(ぐんじょう)の間、群青書見の間、越中の間、網代(あじろ)の間などがあり、これら諸室の壁、天井には群青、赤、紫などの色が用いられている。
 成巽閣は、江戸時代末期の数寄屋風の武家住宅の代表的な遺構として貴重である。

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